NICOのブログ(仮)

NICO(@fabrics225)がなんかいろいろ書くブログです。正式なタイトルはそのうち決めます。

引っかかる

もういつの話だったかは覚えていないけれど、普段よく行くコンビニで買い物をしていた時、店員さんに煙草を注文する客がいた。

 

僕は煙草を吸わないので実際に店頭で購入した事はないのだが、大体こういう時、レジカウンターを挟んで店員側の棚には様々なデザインに彩られたパッケージが整然と並べられていて、それぞれの銘柄に番号が割り振られている。その中から欲しい銘柄に割り振られた番号を言って取って貰ってお会計、というのがおそらく大まかな流れだ。多分。

 

その客も例に漏れず、欲しい銘柄に沿った番号を告げるのだが、その時の言い方が「○○番!」と、ぶっきらぼうを通り越して、ちょっとキレ散らかしてるんじゃないかとすら思えるトーンだったのだ。

 

だからと言ってそこから何か店員さんとトラブルがあったわけではなく、普通にお会計を済ませてその客は店を出て行ったのだが、僕はその時の「○○番!」という声のトーンがすごく引っかかってしまった。

 

なぜあの客は、あの言い方で注文したのだろうか。

 

時間がなくて焦っていたのか、ものすごく横柄な人なのか、元々ただ声が大きいだけの誤解されやすい人なのか、その店員さんの事が苦手だったのか、シンプルに早く煙草が吸いたいだけだったのか。

 

直接会って話をしたわけでも何でもないので真相なんて分からないし、そもそも自分が言われた訳でもないので絶対に気にする事など何もないのだけど、「あんな言い方しなくても良いんじゃないかな?」と思ってそれがしばらくの間心に引っかかってしまった。

 

 

「そんな言い方や態度、しなくちゃダメなのかな?」と思ってしまう事は本当に良くある。

 

会社の先輩社員だったり、店員だったり客だったり、有名人を我が物顔でボロクソ言うネット民だったり、立場は様々だけれど、日々生活していく上で、そのちょっとしたモヤモヤが1つあると、すごく自分の中で悪い意味で印象に残ってしまう。

 

もちろん自分も過去に一度もそういう風な物言いをした事がないかと言われたら、それは恥ずかしながらないのだけど、元々あまり怒る方の人間でもなく、できれば波風を立てずに生きていきたいと思っているので、そうした人達の物言いや態度を見てしまうと、「言葉ってそんなに選べないものかな?」と妙に気になってしまう。

 

中には衝動的に言ってしまう人もいるのだろうけど、多分普段から頭の奥底にそういう言葉がストックされている恐ろしい部分がないと、口を突いて出る事はないんじゃないかと思う。

 

誰を、何をどう思うかは人の勝手だけれど、誰かに向けた言葉や言い方に対して自分自身が鈍感になってしまうのは、やっぱりそんなに良くはないんじゃないかと思っている。敏感すぎるのもそれはそれで考え物だと思うけれど。

 

なるべくなら、そういう意味で言葉や言い方を選べない人とは正直関わりたくはない。どこかで発したその一言ですごく嫌な思いをしてしまうからだ。

 

そんな事を思いながら、僕は寝る前にそっと苦手な人を1人ミュートする。

気力と体力の話

大人になるといろいろな事が変わるものだけれど、この1年ぐらいで随分と夜更かしが苦手になった。

 

職業柄、隔週で勤務時間が変わるので夜に仕事が終わる週にはそのまま朝まで起きていられるのだが、次の日が休みだったりして、「よし、今日は何も気にせずに時間を使える!」などと息巻いていた数時間後には気がつけばベッドの上にいたりする。

 

横になってしまえば一巻の終わりで、そのまま眠りに落ちてしまうことがしばしばある。

ここでカフェインをぶち込めば乗り切れるけれど、それをやると次の日に恐ろしいほどの睡魔に襲われる。そうして惰眠を貪ったら最後、貴重な休みはいとも簡単に潰れてしまうのだ。

 

朝まで起きていても元気だった10代20代の頃って、なんであんなに元気だったんだろうか。理由はなんとなく分かるんだけど、あまり直視はしたくない。

 

それに、起きていたらいたで、あれをやろうこれを見ようなどと思っていても結局はどこかで億劫になってダラけてしまう。これもなんとかならないものかと思ってしまう。

気力を使いすぎているのか、体力が落ちているのか、またはその両方なんだろうけれど。

 

このブログだって、前の更新から随分空いてしまった。そもそもそこまで待ってる人がいるのかどうかもよく分からないが、まぁ急かしてくる人もいないのでまだ気が楽ではある。

 

やりたい事は正直めちゃくちゃあるのに、身体が上手いことついてきてくれなくなった。(体調がどうとかではなく)なのでひとまず体力をつけたい。しかしどうせ規則正しい生活が物理的に送れないので、まずそこをどうしようか。

 

などと考えていても結局きっと次の休日もウダウダしそうだから困る。まるでどこかで聴いた歌の歌詞のようだ。

色濃く残るもの

「○○を好きになったきっかけは何ですか?」と誰かに聞かれた時、それに当たる瞬間が出てこない事がある。

 

前にも書いたような「物事に触れる」きっかけ自体はいくらでもあるのだけど、具体的にいつ、どのタイミングで「好き」に切り替わったのか。それを一生大事に思えるようなトピックはどれなのか。

 

電気を点けたり消したりするかのような、いわゆる「バチっときた」タイミングは、僕の人生にはほとんどないのだ。

大体の物はグラデーションみたく、「気がついたら」好きになっている。そしてグラデーションなので、興味が薄れたり、また新たに何かを好きになったりして優先順位が変わると、それまで濃かったものがだんだんと淡くなっていく。

 

なので、例えば10年前好きになったものと、今好きなものの「濃さ」はだいぶ入れ替わっている。

逆に言えば、今遠ざかっているものも当時のそれに比べて色合いが淡くなっているだけで、よほどのことがない限りは消えるような事がない、と思う。

その当時確実に何よりも色濃く自分の心を染め上げていたのは紛れもない事実だからだ。

 

そんな心変わり(と言ってもそこまでコロコロ好みを変えてるつもりはないけれど)をする事がある自分が、もうかれこれ20年近くもの間、その「濃さ」が変わらないのがBUMP OF CHICKENだ。

 

20年近くもの間、と表現しているのも、実際本当に好きになったきっかけがないからだ。

 

もちろん触れるきっかけなんていくらでもあって、僕が彼らを知った当時には既に売れっ子で、興味があろうがなかろうがどこかでうっすら曲を聴いたことがあるぐらいの感じだった。

中学生時代のある日、これまた取り立てた理由もなく貯まった小遣いでなんかCDを買ってみようと気まぐれで思い立ち、当時の最新アルバムであった「ユグドラシル」を買った。CDプレーヤーもコンポも持っていなかったので、唯一持っていたPS2に入れてはちょくちょく聴いていた。

 

そうして気がついたら、めちゃくちゃ淡い色合いだった気持ちが色濃くなっていたのだ。彼らの作る音楽はいつしか日常のBGMになり、身体の一部(という言い方をすると気恥ずかしいけれど)のようなものになっていた。高3の年の年末に買った「orbital period」というアルバムなんて、本当に何度聴いたか分からないぐらいで、先に述べた「ユグドラシル」はCDケースがすっかりボロボロになっている状態で今でも持っている。

 

そんな当時は、「ライブに行く」という感覚が全くなかったので、音源をひたすら聴き倒して満足していたのだが、社会人になってしばらくして別のアーティストのライブに行ったことがきっかけで、ライブ熱が否応なしに高まった。そして気がついたら、

「いつかBUMPのライブを生で見たい、もし見られたら死んでもいい」と思ったほどだった。

 

そしてそのチャンスはわりと早い段階で訪れる。

 

2013年に「WILLPOLIS」という名前の全国ツアーが開催されたのだが、運良くそのツアーの名古屋公演のチケットが当たった。

キャパ1万人という広い会場は、住んでる場所も人間性も至ってバラバラであろう、しかし一人で来たはずの自分と全く同じ目的を持った人たちで一杯になる。そうして時間になって客電が落ち、以降のことは恥ずかしながらほとんど覚えていない。いやまぁ正確に言うと何の曲をやったかぐらいはなんとなく分かるけれど。

 

気がついたらライブは終わっていて、抜け殻みたいな身体を動かして帰路につく。

始まるまで「観られたら死んでもいい」と思っていた自分は電車に揺られながら、「次にまた会うまで死ねないな」などと思ってしまった。

 

ちなみにこのツアーは翌年に続編があり、僕はそのライブにも運良く行けた。オープニングムービーがとにかく好きで、そこからずっとテンションが高揚したまま2時間以上楽しんだのを覚えている。

 

3度目は2019年。僕はその2年ほど前から仕事が忙しく、平日の仕事に加えて土日に度々出張だの研修会だのが入り、ライブどころではなくなっていた。

 

とはいえ、さすがにこの現状を打破しないと潰れるなと思い、無理矢理この年の4月にポルノグラフィティのワンマンライブを見に行ったりしてなんとかメンタルを取り戻した。9月には仕事もほぼ片付き、フォロワーさんからの誘いもあって大阪のフェスに行ったりもした。この話はまたどこかでしようかな。

 

僕は友達もろくにおらず、家族を連れて行くとかもないので一人で参戦した事しかない。一人は別に気が楽なので良いのだけど、こういう事がないとフォロワーさんに会う事もないので、緊張はするけれど喜びも非常に大きかったりする。

 

ライブの前日。あるフォロワーさんからのDMが来た。

なんでもその人はお友達と一緒に参戦するのだが、そのお友達には直前に違う予定があって合流が遅れるらしく、代わりに物販を買うのに付き合ってほしい、という様な内容だった。

 

僕はこの方とは長く相互フォローをし合っていて、なんなら面識も既にある。

かつてその方が名古屋の小さなライブハウスを使って開催したイベントに行ったことがあった。 

それが個人的には非常に楽しく、今でもその時に貰った手作りのパンフレットを大事にしまっているほどだ。

その人と久しぶりに会う事になったということで楽しみが一つ増えると同時に物凄く緊張しながら会場のナゴヤドームまで向かったのを覚えている。

 

近くのコンビニで待ち合わせたこと、とにかく人が多くて物販を買うのにかなりの時間を要したこと、無事グッズを購入したはいいけど、少しはぐれてしまって連絡を取り合いながら出口で待ち合わせたこと、ナゴヤドームの隣にイオンモールがあってそこのトイレでツアーTシャツに着替えたこと、ついでにスガキヤで腹ごしらえをしたこと。

 

普段なら一人で音楽を聴きながら適当に時間を潰していた、それはそれで気は楽だったけれど、絶対楽しいであろうライブの前にこういう楽しい時間をくれた事に(もちろんお友達が来るまでの代わりみたいなところはあるけど)、本当に今でも感謝しているし、なんなら貰ってばかりで申し訳ないなともちょっと思ってしまう。

 

そんな高揚感がプラスされた状態で、久々に生で浴びる、いつの間にか愛してやまない存在にまでなっていたバンドの音。これまでのいろいろな事が全て報われたような気がして、終わった後にはまたしても「次に見に行くまで生きなくちゃいけない」と思わされた。

それからいろいろあってまだ行けてはいないけれど、これもきっと報われる日がどこかで来ればいい。多分まだ気持ちの濃度は濃いはずだから。

 

ついでに、普通に感動する事はあっても滅多に泣かないぐらい涙腺が強い僕が、1曲目が始まった瞬間にちょっと泣いてしまったことも付け加えておきたい。

好みと尖り

高校生の頃、1年だけ飲食店でアルバイトをしたことがある。

 

かつて家からほど近い場所にあった、蕎麦と天ぷらが美味しいお店。

当時の自分は、それはもう今とは比べものにならないほど要領が悪く、加えてコミュ障持ちという、どう見ても戦力にはなり得ないものだったが、時に厳しくも優しい先輩方や同僚に救われ、本格的に就職活動をする為に辞めるまでなんとか続けて来られた。

 

とはいえ仕事も喋ることも得意ではない自分にとっては、月1の給料日と、毎回食べさせて貰える賄い料理が楽しみということになる。

そこで食べた刺身+わさび醤油の組み合わせに目覚め、それ以来生魚を食べる時には自分の中でわさび醤油がマストになったのだが、昔は別にわさびが好きなわけではなかったので、単純に美味いものに触れたことと、子ども時代から考えると味覚が多少は変わったのだろうなと思う。

 

好みが変わるというのはよくある話で、それまで苦手だったものがあるタイミングで好きになったり、逆に子どもの頃に好きでしょうがなかったものがいつの間にか苦手になっていたりするものだ。

 

同じく高校時代から20代の序盤ぐらいまで、とある有名SNSポータルサイトにアカウントを持っていた。

ゲーム目当てで始めたものだったが、やっていくにつれて様々な繋がりができ、親しく絡む人が増えていった。

 

ちなみに以前の記事に書いた、何か文章を書くことへの成功体験の一つもこの時期で、サイト内の機能にブログのようなものがあって、それをいろんな人が見てくれた事が嬉しくなった、というものだった。

 

さらに違う機能として、同じ趣味を持った人同士でグループを組んで、そこの中だけでやり取りをするみたいなものもあった。

少しずつ音楽を聴くのが好きになり始めていた当時の僕は、好きなアーティストや曲の話をするためのグループに入れてもらう事になった。

 

 

尖っている、と言えば聞こえはいいだろうか。

斜に構えることをカッコいいと思ってしまう時期はきっと誰にでも大なり小なりあるもので、

「なんでこの曲の方が売り上げが多いのか納得がいかない」

「こういうアーティストの方が売れていいのに」

などとそのグループの中でみんなでのたまい始めた。

 

今考えると、正直めちゃくちゃ痛い。こいつは音楽の事なんて何も分かっていないのに。

もちろんこの時期にどハマりして今でも好きなバンドやアーティストはいるし、今でも知らないものを掘り下げたい気持ちはある。

でもこのグループの中で聴いていると挙げていたマイナーアーティストは半分ぐらいカッコつけて無理して聴いていた。なんなら全然知らない人もいたぐらいだ。

承認欲求が高まりすぎたのだと思う。きっとこのグループの中の人たちに距離を置かれたくなくて、認めてもらいたくて、半分ぐらいはずっと嘘をついてきたのだ。

本当は普通にJ-POPも好きだし、アイドルもそこまで嫌いじゃなかったはずなのに。

百歩譲ってそれらを避けるならまだしも、ちょっとバカにし始めたこの時期の人格は本当に痛い。今このスタンスでやっている人がいたら悪いことは言わないからやめた方がいい。本当に痛いから。

 

Twitterに移ってから10年ちょっと、好みが若干、いやだいぶ変わった今の僕の嗜好を見たら、当時の僕は何と思うだろうか。

今の方が断然無理をしていない。面白いと思ったもの、好きだなと思ったものを普通にそのまま言う。そして口に合わないものがあっても無闇にはこき下ろさない。否定はしてもいいんだろうけれど、必要以上にはしない。僕は神様でもなければ作り手でも何でもないただの受取師なのだから、ごちゃごちゃ言う権限などないのだ。

 

大人になるってこういうことなのかと言われると、別にそんなこともない気はするけど。斜に構えることがきっとそんなに好みの味ではなくなったんだなと思ってみることにする。

 

夜は忙しい

カテゴリーをつける、という事を覚えた。

てことで、前回の続き。

 

祖父母の家で2週間を過ごした夏休みから約1年半後、僕を含めた家族は、それまで住んでいたアパートを離れ、祖父母や親戚が住む地域に引っ越すこととなった。

 

物理的距離がとんでもなく近くなった事により、親戚付き合いも大きく増え、家族共々近場の買い物や小旅行に行くことも多くなった。僕自身も程なくして高校生になるのだが、それはそれは小さい頃と変わらず大切に可愛がってもらった。

 

そんなある日、とりわけ僕を可愛がってくれる叔父から譲り受ける形で、小型の無線機のようなフォルムのラジオを手に入れた。

当時はまだiPhoneすらギリギリ無かったような世界(だったはず)なので、乾電池2本で動き、自分で調整して周波数を合わせるスタイルの、まさしくザ・ラジオと言えるようなものだった。

 

引っ越した先はその地理の特性上、電波がやや入りづらかった。もっと言えば、国道に面した場所に住んでいたため、車の通りが多いとノイズが増える。そのため、パーソナリティが何を言ったか、曲の歌詞が何だったか聴き逃すことも度々あった。

 

そして、当たり前の事だが、一度聴くチャンスを逃すと、後から聴くことが出来ない。

今でこそアーカイブとか、タイムフリー機能が充実しているのだが、そういうシステムに慣れた今考えると、これらは本当に不便で、だからこそそれがこのスタイルでしか得られない味なんだろうなとも思う。

 

この頃から僕は少しずつ音楽を聴くようになる。そして、その中でも特に大好きなBUMP OF CHICKENをきっかけとして、(当時から好きな堀北真希新垣結衣がレギュラーコーナーを持っていた、というのも目当てだったが)「SCHOOL OF LOCK!」という現在でも続く10代向けのラジオ番組を聴くようになった。

そして、この番組で「出会った」アーティストも多く、いろいろな人たちのいろいろな曲が、様々な形や色の世界を聴かせてくれた。フジファブリックに出会った時の気持ちなんて、きっと死ぬまで忘れないと思う。

 

 

やがてそんな学生だった自分も就職し、それまでとは少し違うサイクルで生活をするようになる。

平日は朝〜夕方までの仕事に加えて、週が変われば夕方〜深夜まで仕事。そういう生活をしていると、ラジオを聴く時間も自然と深夜に変わっていく。

 

そうして気がつけば、基本的に仕事のない土曜の深夜は「オードリーのオールナイトニッポン」を聴くことがルーティーンとなった。

いつから聴き始めたかは正確には覚えていないが、多分10年ぐらいにはなるんじゃないかと思う。そのわりには覚えてないくだりも多いけれど、「リトルトゥース」(リスナーの総称)としては結構長い方のはずだ。

しかし、使っていた小型の無線機みたいなラジオは故障で使えなくなってしまい、スマホを使って聴く、というやり方にシフトする事になった。

地方に住んでいる事もあって、全国ネットの番組は聴けるが、radikoのプレミアム会員になるまでは他のそれっぽいアプリでなんとか関東圏の番組を聴いていた。このあたりで好きなバンドにパスピエ赤い公園あたりが増えたこともあって、彼らの冠番組を聴くのは自然なことだった。そして大体同じ時期にやっていたアルコ&ピースのラジオをリアルタイムで聴いていなかったことを後に僕は悔やむことになるが、それはそれとして。

 

好きで聴いていた番組の大体が半年〜数年のうちに終わってしまったのと、一時期の仕事の忙しさが重なって、もはや生活習慣になったオードリーと、時間帯が上がって地方でも聴きやすくなった三四郎(後に降格するのだけど)など一部を除いては、少しばかりラジオから遠ざかっていた。

 

しかしその忙しい時期が終わり、さらにご時世が変わった事で時間が空くようになり、radikoのプレミアム会員に入ったことでラジオを聴く頻度は飛躍的に増えた。これまで聴けていなかった中で興味のある番組をひたすらチェックし、リアルタイムが無理なら休みの日にゆっくり後から聴くようになった。これは今でも続いており、一週間の楽しみを増やすことが出来た。本当に便利な時代になったな、と思う。

 

ただ、そうしていく中で、番組で名前が出たりだとか、楽曲が流れたり、パーソナリティにゆかりがあったりとか様々なきっかけで好きになった人やグループがどんどん増えていった。

そしてそれを全部追いかけようとしたら時間が足りなくなって、全然カバーできずに泣く泣く普段聴く番組から削ったものも多くなってしまった。

 

本当に困ったものだな、と思う。

ラジカセは赤だった

ごくたまに、会社の人間などから趣味を訊かれることがある。

 

僕は以前からこの手の質問に弱い。

昔から好きなことがないわけではないのだが、性格上なんとなく恥ずかしくて答えづらいのだ。

 

だから毎回、本当に直近観た映画とか買い物に行ったとかの事実とちょっとばかりの嘘を織り交ぜながらお茶を濁す

もちろんこれらも好きは好きなのだが、なにせ毎回話せるほど行ってるわけではないので、実際のところその手のエピソードに乏しい。人に堂々と話せるような趣味を持てばいいのかもしれないが、それだと人にどう思われたいかがメインになってしまって、結果取り繕うことばかりになってしまうので、自分自身がそれを続けられるとは到底思えない。

 

だから自分の本性というか、「これ言っても共感されないだろうな」みたいな部分を誰かに話すことがない。

 

ブログを始めた理由は前の記事にも書いたし、その最後の方で生意気にも匂わせた他のエピソードもあるのだが、実は他にも動機はある。

 

Twitterを始めて12〜13年ほどになるのだが、ここ数年の自分のツイートの多くは、大抵何かの番組を観た感想やその実況。

やってる時は間違いなく楽しいし、やめる理由も一切ないのだが、ふと後になって自分のツイートの並びを見返した時に、どうも機械じみてるというか、客観的に見て自分自身の人間性があまり見えて来ないような感じがした。

 

自分は自分の事を何者だと思っていて、何が好きで、何が嫌いで、どんな風に生きてきて、どんな感情を抱いて過ごしているのか。それを一度自分の中で整理してみたいと思った。

もっと言えば、普段の生活ではきっと言えないであろう部分を言語化してみたくなった。

そしてそれならばせっかくだし文章を長々書いてみようと、ついでにそれを自分にちょっとでも興味がある人に暇つぶし感覚で観てもらおうと思い立ったのである。(実際にはそこから行動に移すのに随分と時間がかかったけれど)

 

 

 

ラジオに触れたきっかけは中学生時代。

 

13歳の夏休み、とある家庭の事情で僕は妹と共に2週間ほど祖父母の家に預けられることになった。

遠く離れた場所に住んではいたが、いわゆるおばあちゃん子であった僕にとってはそれだけである意味プレゼントのように感じていたのを覚えている。

 

しかし、実際に祖父母の家で生活を始めるにあたり、ちょっとした問題が起こる。

 

することがない。

 

宿題はあるが、午前中にちゃんとやっておけば午後からは自由時間。とはいえおもちゃがあるわけでもなく、毎回イベントがあるわけでもない。祖父母はたくさん甘やかして気にかけてくれるが、ずっと会話するわけでもない。

ゲームは持ってきているが、孫をたくさん甘やかしてくれる祖父母の前とはいえ泊まっている身でさすがにそればかりやる訳にもいかない。

 

家の周りには歩いて数分のところにコンビニとスーパー、あとはちょっとした飲食店がある程度。

当然移動をすれば離れた場所の娯楽施設には行けるが、お小遣いもそんなになく土地勘もなければ移動手段も持ってない。

 

さらに祖父母が寝るのが早いので、夜にテレビを観ることもこの期間はほぼなかった。

 

という具合に何をしようにも出来ないなぁなどと思っていたある日、祖父が暇つぶしになればと思ったのか、私物の大きなラジカセを貸してくれた。

 

カセットテープの演歌コレクションを聴く気はさすがになかったので、その代わりにラジオを聴いてみることにした。

 

電源を入れ、ラジオのモードに切り替え、アンテナをちょっと伸ばし、クリアに聴こえるところまでチューニングを合わせてみる。

そうして初めて自分で操作して聴いたのは、地方局のお昼のワイド番組だった。

 

リスナー、と呼ばれている番組視聴者からお便りが届き、それを読んではトークを展開するタレント。

その合間に流れるいろんなアーティストの曲や、地方ならではのCMが妙に耳に残る。

違う曜日では野球中継。特にどの球団の誰のファンというわけでもなかったが、不思議なもので耳に入る試合展開にはちょっとワクワクするものがあった。

 

それまでの人生でラジオを聴いたこと自体全くないわけではなかったが、ここまでちゃんと触れたことはなかった。

知ってるようで知らない世界がそこにはあった。

 

そうして気がつけば、実家に戻るまでの期間、僕の暇つぶしのお供はラジカセから流れてくるラジオ番組になった。

 

 

 

 

と、ここまで書いておいて本来ならラジオにどハマりする人生をすんなり送るはずなのだが、実家にはラジカセはないので、そこからしばらくラジオを聴かない生活に戻る。

 

そしてそこから何年か経ってまたラジオを聴くようになるのだが、長くなってしまったので続きはまた今度。前置き長かったなぁ。

書きたい事がある、ということ

 

 

作文が苦手だった。

 

 

例えば、小学生時代の夏休みの宿題の定番である読書感想文。

自分のセンスで本を自由に選んで読んで、その感想を原稿用紙1枚分以上とかのノルマをクリアしつつ書く。

他にも課題となる本が指定されたりと、その人の当時の経験によって細かなルールは様々だろうけど、大体はそんな感じだと思う。

 

当時の僕にとっては、これがまぁ苦痛だった。

 

まず、そもそも読みたいと思う本がない。

国語自体はわりと得意だった事もあって、読書自体は別に苦痛じゃなかったけれど、わざわざ買って読むほどの趣味にはならなかった。

 

ましてや、時間を費やして本を読み、自分の中に落とし込んで、さらにそれを持っているボキャブラリーと感性を組み合わせて、文字数のノルマを超えられるだけの文章にしなければならない。

そして宿題である以上、その文章を、先生に提出して見せなければならないのだ。場合によっては音読までしてクラスメイトにまでその内容が知れ渡るかもしれない。

 

面倒で、億劫で、さらに人に見られる恥ずかしさもある。

 

仕方なく手に取った、思い入れも何もない一冊。

選んだ昔の偉人の伝記を手に取り、印刷された文字に目を通し続け、一定のリズムでページを捲る。

 

そんな気持ちで「読んで」いるものだから、僕の心は当然ピクリとも動かない。

 

時間をかけて最後のページまで辿り着き、四角いマス目がびっしり敷き詰められた紙と向かい合う。

 

宿題という特有の義務感も手伝って、持った鉛筆はなかなか思うように進まない。

 

それでもなんとか時間をかけて、400文字の壁をクリアしたその文章の内容は、本に書いてある事をそのままなぞり、最後に取ってつけたように、心にもない感想っぽい数行を添えただけのものだった。

 

提出義務は果たしているし、内容で先生に注意されることも、特別恥をかくことも全くなかった。

ただその代わり、褒められることも全くなかった。

 

こういった方法は大人になってからも割と効くもので、例えば研修のレポートや、会社の会議で使うための資料のコメントを書く時にも、ある程度しっかりと定められた枠を埋めることが出来る。カッコつけて言えば処世術だ。

 

といった具合に、「何かを書く」というのは自分の中ではそんなものだったのだが、その気持ちが変わった瞬間がある。

 

ある年、会社の新人研修で一人の研修生が書いたレポート用のノートに、先輩の中からランダムで選ばれる形で僕がコメントを書くという事があった。

当時の僕は今のそれとは比べ物にならないほど仕事の面で行き詰まりを感じており、真面目に研修に取り組む彼らを横目に見ては「ああ、きっと数年後には君らのその目も今の俺みたいにこうやって濁っていくんだろうな」などと思っていた。

 

そんな中自分の仕事を終え、「義務」として目の前に置かれた研修生のノートを開き、書かれた文字に目を通す。

細かな内容までは覚えていないけれど、そこには仕事に関する質問だけではなく、どうやったら他の先輩のようになれるか、自分には何が必要なのか、のような、ある種心構えのようなところも訊かれていた。

 

普段の僕なら、いつものようになんとなくで適当に書いてそれで終わらせていたし、研修生の彼には悪いけどそうするつもりだった。

 

 

ペンを取ってどれくらいが経ったか。

気がつけば僕は、彼の質問の文章の何倍もの行に渡り、自分が思うことを書き続けていたのだ。

もう何年も前のことだから何を書いたかなんて正直覚えてはないけれど、自分はこんな事を思っていたのかとびっくりしてしまったのは覚えている。

 

そして、翌日そのノートを見た上司からも、

「これ○○が書いたのか、凄いな!お前こんな事書けるんだな」と驚きつつ褒められたのだ。

それまで仕事で褒められるところがあまりなかった自分にとって、もっと言えば、子どもの頃から「これを書け」と言われてその義務を消化するために淡々と書いていただけの僕にとってそれは、紛れもない初めての成功体験だった。

 

 

そんな自分が、ブログを立ち上げ、何かを書いてみることにした。

 

ブログ、と呼ぶには日記感のないものになるかもしれない。

誰も興味ないかもしれないし、飽きられて途中で読まれなくなるかもしれないし、たまたまこの記事を開いただけの知らない人からは「いや、お前誰?」と思われるかもしれない。

今書いたこの文章だって、完全に自分語りで、他の人から見れば至って取るに足らないもの。何の情報もなく、引きもなく、これが誰かの心を震わせるだとか、そんな事が起こるとも思えない。いや、流石にそれは「そうなればいいな」ってちょっと思ってはいるけど。

 

けれど、あの時、興味を持てるような本も選べず、ただ原稿用紙のマス目を埋める作業しかしていなかった当時の自分が、大人になってブログなんか立ち上げて、自分の意思で自分の思った事を好きなように書いている。

 

あの時の研修のノートの成功体験がそうさせたのか、普段のTwitterでのツイートの成果なのか、それとも義務をこなし続けて身につけた処世術めいたものが経験値になっているのかは分からないけれど。

 

少なくとも、あの頃の自分がこの文章を見たらきっと驚くんだろうな、なんて事を思いながら。

 

今は他にも書きたいことがいくつかあって、 それをどうやって書こうかと少しばかりワクワクしてる気持ちがあるのだけど、

こんな風な書き方をする事もあれば、突然スタイルが変わって、○○に行きました!とか○○を見た感想みたいなものも書くかもしれない。

なんとなくやる気が出なかったり忙しくなったりして数ヶ月開くかもしれないし、他のところで書けばいいのにって言われそうなほどブログと呼べるものではないかもしれないけど、これは義務じゃない、自由に書いていいものを自分の意思で書くのだから、マイペースに自分勝手に書いて行こうかな、なんて。

 

 

 

ともあれ、よろしくお願いします。

 

 

 

ところで、あの頃作文が苦手であったはずの自分がこんなに進んで文章を書くようになるには、研修ノートのそれより前にもう一つ別の体験があるのだけど、それはまた気が向いた時、違う記事に。