NICOのブログ(仮)

NICO(@fabrics225)がなんかいろいろ書くブログです。正式なタイトルはそのうち決めます。

書きたい事がある、ということ

 

 

作文が苦手だった。

 

 

例えば、小学生時代の夏休みの宿題の定番である読書感想文。

自分のセンスで本を自由に選んで読んで、その感想を原稿用紙1枚分以上とかのノルマをクリアしつつ書く。

他にも課題となる本が指定されたりと、その人の当時の経験によって細かなルールは様々だろうけど、大体はそんな感じだと思う。

 

当時の僕にとっては、これがまぁ苦痛だった。

 

まず、そもそも読みたいと思う本がない。

国語自体はわりと得意だった事もあって、読書自体は別に苦痛じゃなかったけれど、わざわざ買って読むほどの趣味にはならなかった。

 

ましてや、時間を費やして本を読み、自分の中に落とし込んで、さらにそれを持っているボキャブラリーと感性を組み合わせて、文字数のノルマを超えられるだけの文章にしなければならない。

そして宿題である以上、その文章を、先生に提出して見せなければならないのだ。場合によっては音読までしてクラスメイトにまでその内容が知れ渡るかもしれない。

 

面倒で、億劫で、さらに人に見られる恥ずかしさもある。

 

仕方なく手に取った、思い入れも何もない一冊。

選んだ昔の偉人の伝記を手に取り、印刷された文字に目を通し続け、一定のリズムでページを捲る。

 

そんな気持ちで「読んで」いるものだから、僕の心は当然ピクリとも動かない。

 

時間をかけて最後のページまで辿り着き、四角いマス目がびっしり敷き詰められた紙と向かい合う。

 

宿題という特有の義務感も手伝って、持った鉛筆はなかなか思うように進まない。

 

それでもなんとか時間をかけて、400文字の壁をクリアしたその文章の内容は、本に書いてある事をそのままなぞり、最後に取ってつけたように、心にもない感想っぽい数行を添えただけのものだった。

 

提出義務は果たしているし、内容で先生に注意されることも、特別恥をかくことも全くなかった。

ただその代わり、褒められることも全くなかった。

 

こういった方法は大人になってからも割と効くもので、例えば研修のレポートや、会社の会議で使うための資料のコメントを書く時にも、ある程度しっかりと定められた枠を埋めることが出来る。カッコつけて言えば処世術だ。

 

といった具合に、「何かを書く」というのは自分の中ではそんなものだったのだが、その気持ちが変わった瞬間がある。

 

ある年、会社の新人研修で一人の研修生が書いたレポート用のノートに、先輩の中からランダムで選ばれる形で僕がコメントを書くという事があった。

当時の僕は今のそれとは比べ物にならないほど仕事の面で行き詰まりを感じており、真面目に研修に取り組む彼らを横目に見ては「ああ、きっと数年後には君らのその目も今の俺みたいにこうやって濁っていくんだろうな」などと思っていた。

 

そんな中自分の仕事を終え、「義務」として目の前に置かれた研修生のノートを開き、書かれた文字に目を通す。

細かな内容までは覚えていないけれど、そこには仕事に関する質問だけではなく、どうやったら他の先輩のようになれるか、自分には何が必要なのか、のような、ある種心構えのようなところも訊かれていた。

 

普段の僕なら、いつものようになんとなくで適当に書いてそれで終わらせていたし、研修生の彼には悪いけどそうするつもりだった。

 

 

ペンを取ってどれくらいが経ったか。

気がつけば僕は、彼の質問の文章の何倍もの行に渡り、自分が思うことを書き続けていたのだ。

もう何年も前のことだから何を書いたかなんて正直覚えてはないけれど、自分はこんな事を思っていたのかとびっくりしてしまったのは覚えている。

 

そして、翌日そのノートを見た上司からも、

「これ○○が書いたのか、凄いな!お前こんな事書けるんだな」と驚きつつ褒められたのだ。

それまで仕事で褒められるところがあまりなかった自分にとって、もっと言えば、子どもの頃から「これを書け」と言われてその義務を消化するために淡々と書いていただけの僕にとってそれは、紛れもない初めての成功体験だった。

 

 

そんな自分が、ブログを立ち上げ、何かを書いてみることにした。

 

ブログ、と呼ぶには日記感のないものになるかもしれない。

誰も興味ないかもしれないし、飽きられて途中で読まれなくなるかもしれないし、たまたまこの記事を開いただけの知らない人からは「いや、お前誰?」と思われるかもしれない。

今書いたこの文章だって、完全に自分語りで、他の人から見れば至って取るに足らないもの。何の情報もなく、引きもなく、これが誰かの心を震わせるだとか、そんな事が起こるとも思えない。いや、流石にそれは「そうなればいいな」ってちょっと思ってはいるけど。

 

けれど、あの時、興味を持てるような本も選べず、ただ原稿用紙のマス目を埋める作業しかしていなかった当時の自分が、大人になってブログなんか立ち上げて、自分の意思で自分の思った事を好きなように書いている。

 

あの時の研修のノートの成功体験がそうさせたのか、普段のTwitterでのツイートの成果なのか、それとも義務をこなし続けて身につけた処世術めいたものが経験値になっているのかは分からないけれど。

 

少なくとも、あの頃の自分がこの文章を見たらきっと驚くんだろうな、なんて事を思いながら。

 

今は他にも書きたいことがいくつかあって、 それをどうやって書こうかと少しばかりワクワクしてる気持ちがあるのだけど、

こんな風な書き方をする事もあれば、突然スタイルが変わって、○○に行きました!とか○○を見た感想みたいなものも書くかもしれない。

なんとなくやる気が出なかったり忙しくなったりして数ヶ月開くかもしれないし、他のところで書けばいいのにって言われそうなほどブログと呼べるものではないかもしれないけど、これは義務じゃない、自由に書いていいものを自分の意思で書くのだから、マイペースに自分勝手に書いて行こうかな、なんて。

 

 

 

ともあれ、よろしくお願いします。

 

 

 

ところで、あの頃作文が苦手であったはずの自分がこんなに進んで文章を書くようになるには、研修ノートのそれより前にもう一つ別の体験があるのだけど、それはまた気が向いた時、違う記事に。